宇波刀神社(うばとじんじゃ)
鎮座地 岐阜県安八郡安八町森部373番地の10
御祭神 天照皇御神 豊受大神 倭姫命 気津御子神
垂仁天皇の御世に創建された(紀元前20年頃か)と伝えられています。『延喜式神名帳』(延長5年(927))にも「安八郡四座 並小 宇波刀神社…」と記されている古いお宮です。
垂仁天皇の御世に、倭姫命が天照大神を奉じ美濃国に遷幸され、「伊久良河宮」に4年奉斎されて、次に尾張国に遷られたことが、『倭姫命世紀』に記されています。当社神鏡裏面には、中央に宇波刀神社、右に伊久良河宮、左に内宮と彫刻されています。又古棟札の面に宇波刀神社、その肩書に伊久良河宮と記し(年号文字磨消して不明)慶長9年正月の棟札にも中央に宇波刀神社内宮、肩書に伊久良河宮とあり、伊久良河宮は当社であると伝えられます。
別の伝えでは、伊久良河宮は瑞穂市居倉の天神神社のことであり、伊久良河宮から尾張の中嶋宮へ移られる時に一時的に当地に留まられたとされます。『倭姫命世紀』には美濃国造や県主から船が奉げられたことが記されており、船で移動されたようですが、昔の川筋を考えると、この地はちょうど通り道で中間点になります。何れにしましても倭姫命のご巡幸に関わりのあったお宮であることは間違いありません。
現在の社殿は銅板葺きですが、もとは萱葺屋根の神明造りであり、伊勢神宮と同じ形式の社殿でした。また、すぐ近くには天照皇大神ご遷幸に関わる神を祭る六社神社や、内宮神職荒木田氏の祖神を祭る大縣神社もあります。「元伊勢」とも称えられる、伊勢神宮とのかかわりの深いお宮です。
この地は水害の多い処で、当社も幾度と無く被害を受け、鎮座地も移動しています。
元々の鎮座地は不明ですが、2反2畝10歩の広さであり、除地(租税免除地)であったとされます。しかし、長良川の川筋が変わった為に、慶長9年に現在地の北東約200mくらいの処に移転しました。江戸時代には尾張藩主の信仰も厚く、嘉永5年11月に、藩主徳川義直の命を受けた瀧川豊前・稲葉兵部によって社殿の造営がなされています。
昭和3年8月20日、木曽川上流改修工事によって境内が河川敷になってしまうことから、移転しました。
しかし、木曽川上流改修工事の結果、境内地の東部に沿う長良川堤防増築されて低湿地となり、昭和8年7月30日に字表398-3に移転をします。
さらに今度は長良川支流犀川改修工事のため、昭和9年12月16日現在の地、字一色373-10へ移転しました。
合祀
大正6年10月2日森部村字一色の村社「宇波刀外宮」と、字利面の村社「熊野神社」を合併しました。
祭典 新年祭 1月3日 午前8時30分
例祭 10月「体育の日」前の土曜日 午前11時
新嘗祭 11月23日 午後2時
(祭典日時は、年によって変更になる場合もあります。)
出張祭典 (地鎮祭等ご奉仕致します)